まねき食品の歴史
2016年2月27日
姫路名物 まねきのえきそばファンド第一次
本日はまねき食品の歴史をご紹介します。
1.はじめに
「まねき」の由来は、「人=」が行き交う「駅=」。
明治21年、姫路駅からさまざまな想いをのせて日本で初めて駅弁を誕生させました。
お客様をおまねきするという創業の心を今に伝えています。
2.元祖幕の内駅弁の誕生
明治21年、現在のJR姫路駅近くで、茶店「ひさご」を開いた竹田木八が、山陽鉄道の開通に当たり、翌年から弁当の販売を始めました。これが我国で初めて販売された幕の内駅弁です。
13種類のおかずを上折に、下折には白飯を入れ二重の折詰にして、当時お米1升6銭の時代に12銭で販売致しました。
米が1升6銭の時代に12銭したと書いてありますが、今の価格でいったいいくらなのでしょうか?
米も色々ありますが、とりあえず仮定として10Kg5000円としましょう。 1升が約1.6Kgですから、800円とすれば、2倍にしましたら1600円になります。
当時はありませんが、消費税(平成25年現在5%)を含みますと、「1680円」になると換算されます。
結構高いものですね。かなりの単純計算ですが参考までに計算してみました。

3.えきそばの起こり
戦後、最も簡単に、しかも大した機械設備もなしに出来る物として、姫路駅で 麺類を販売しようと計画しましたが、当時小麦粉は統制品で手に入りにくい為、 統制品ではない”こんにゃく”に目をつけそば粉とこんにゃく粉を混ぜて、うどんの 様なものを作り、和風だしでうどんの様なものを試作し販売致しました。
うどん鉢は、出雲今市で焼いていると聞き込み夜行列車で出雲まで丼鉢を仕入れに行き、列車のデッキに積んで持ち帰っては販売をしていました。
しかし、その後うどんは時間がたつとのびて美味しくないのと、腐敗が早く長持ちさせるにはと考えた末、うどんをあきらめ度々の試作の結果、かんすいを入れた黄色いラーメンにたどり着き、当社独自でその製造にのりだし、黄色いそばに和風だしという一見ミスマッチの商品が生まれました。
これが えきそば の誕生です。
そして昭和24年10月19日 姫路駅ホームにて、それを ”えきそば” と名付け立ち売りを始めました。
一般市中で、うどんが一杯30円だった頃ふたの付いた瀬戸物容器付きで50円、容器は10円で引き取りました。


現在は、メニューも増え忙しいビジネスマン・学生・昔からの「えきそば」ファンに親しまれております。