自粛中ですので、少し雑談②
2022年2月14日
広島 空き家/移住で地方創生ファンド
■生い立ち②
今回は、学生時代に培ったことや影響を受けたことについての雑談とします。
突然ですが、私は泳ぎが不得意です。
小学校1年生の頃、水泳の授業で息継ぎの練習の時、担任の先生に強引に顔を水に押し付けられ、水が怖くなりました。
泳げないというより、息継ぎするときに水を飲んでしまうのが怖くなり、息継ぎができなくなりました。今の時代なら大問題ですね笑
小学校時代、サッカーが大好きでスポーツ少年団に入ってするほど熱中していました。
地元のサンフレッチェも大好きで、当時のサイン会にも足を運ぶなど、大好きでした!
今の日本代表監督の森保さんを始め、風間さんや高木琢也さんなどの時代です。
憧れすぎて、実力が伴っていないことも分かっていましたが、ユースの入団試験も受けた過去があります。(もちろん不合格)
その時所属していたYMCAのサッカークラブのコーチには、「チャレンジすることに価値がある」ことをおっしゃって頂けたこと、今でも覚えています。
コーチの名前忘れちゃった笑(すみません)
勉強は苦手で、小学校の算数のテストでは8点(100点満点です)を取ったこともあります。中学に入り、数学に代わり2年生の頃担当をしてくれた三浦先生の教え方がうまかったのか、数学が好きになりました。勉強1つでもわかりだすと、楽しさが派生して他の教科の理解度も増すのですかね。全体的に成績が上がったように記憶しています。
3年生になり進学する高校を決めなくてはなりません。
推薦入試で地元の高校を受験するも、不合格。大袈裟ですが、それまで比較的スムーズに進んでいた人生でしたが初めて壁に当たったようでした。
一般入試で同じ高校に入れましたので結果OKです。
今だから言えますが、高校に入り1年生の冬からマクドナルドでアルバイトを始めました。
当時の時給は650円(広島の最低賃金が633円)でした。この20年での最低賃金の上り幅はすごいなと個人的に感じています。
マクドナルドは大学4年生の卒業まで続き、約6年間従事しました。
ここでのアルバイト経験が今でも活きており、労働意識や仕組みづくり、単純に仕事の楽しみ方を学びました。
当時マクドナルドでは、従業員(クルー)にランク付けがあり、ランクが上がっていくと時給が上がる仕組みがあったり、ランクによって勉強会に参加できたりする制度がありました。
高校生の時点で最高ランクまで評価頂けたことが、仕事を頑張ることで評価される成功体験になったのだと思います。また、AJCCというクルーコンテストに参加させて頂き、オペレーションスキルを上げることや、もっとスキルが高い人がたくさんいることを知れたのも経験になっています。
こういう仕組みに接していたおかげもあり、一人だけの力では成しえないことが、チームを組むことで成功できるんだという価値観ができました。
同時に、自分だけが頑張るのではなく、スキル的に乏しい仲間の分もサポートすることで、結果自身の評価向上につながることに気づけたのも高校生時代に思います。
この気づきが今の理念に至り、社名の由来であるリタパートナーズのリタ(=利他)につながっています。
リタパートナーズはそのように、自身のみの成功だけでなく、他人の利益も一緒に追求することでともに成功することを理念としています。
少し長くなってきたので、今回はこれくらいで。
次回は大学生時代の体験エピソードを記します。
今回は、学生時代に培ったことや影響を受けたことについての雑談とします。
突然ですが、私は泳ぎが不得意です。
小学校1年生の頃、水泳の授業で息継ぎの練習の時、担任の先生に強引に顔を水に押し付けられ、水が怖くなりました。
泳げないというより、息継ぎするときに水を飲んでしまうのが怖くなり、息継ぎができなくなりました。今の時代なら大問題ですね笑
小学校時代、サッカーが大好きでスポーツ少年団に入ってするほど熱中していました。
地元のサンフレッチェも大好きで、当時のサイン会にも足を運ぶなど、大好きでした!
今の日本代表監督の森保さんを始め、風間さんや高木琢也さんなどの時代です。
憧れすぎて、実力が伴っていないことも分かっていましたが、ユースの入団試験も受けた過去があります。(もちろん不合格)
その時所属していたYMCAのサッカークラブのコーチには、「チャレンジすることに価値がある」ことをおっしゃって頂けたこと、今でも覚えています。
コーチの名前忘れちゃった笑(すみません)
勉強は苦手で、小学校の算数のテストでは8点(100点満点です)を取ったこともあります。中学に入り、数学に代わり2年生の頃担当をしてくれた三浦先生の教え方がうまかったのか、数学が好きになりました。勉強1つでもわかりだすと、楽しさが派生して他の教科の理解度も増すのですかね。全体的に成績が上がったように記憶しています。
3年生になり進学する高校を決めなくてはなりません。
推薦入試で地元の高校を受験するも、不合格。大袈裟ですが、それまで比較的スムーズに進んでいた人生でしたが初めて壁に当たったようでした。
一般入試で同じ高校に入れましたので結果OKです。
今だから言えますが、高校に入り1年生の冬からマクドナルドでアルバイトを始めました。
当時の時給は650円(広島の最低賃金が633円)でした。この20年での最低賃金の上り幅はすごいなと個人的に感じています。
マクドナルドは大学4年生の卒業まで続き、約6年間従事しました。
ここでのアルバイト経験が今でも活きており、労働意識や仕組みづくり、単純に仕事の楽しみ方を学びました。
当時マクドナルドでは、従業員(クルー)にランク付けがあり、ランクが上がっていくと時給が上がる仕組みがあったり、ランクによって勉強会に参加できたりする制度がありました。
高校生の時点で最高ランクまで評価頂けたことが、仕事を頑張ることで評価される成功体験になったのだと思います。また、AJCCというクルーコンテストに参加させて頂き、オペレーションスキルを上げることや、もっとスキルが高い人がたくさんいることを知れたのも経験になっています。
こういう仕組みに接していたおかげもあり、一人だけの力では成しえないことが、チームを組むことで成功できるんだという価値観ができました。
同時に、自分だけが頑張るのではなく、スキル的に乏しい仲間の分もサポートすることで、結果自身の評価向上につながることに気づけたのも高校生時代に思います。
この気づきが今の理念に至り、社名の由来であるリタパートナーズのリタ(=利他)につながっています。
リタパートナーズはそのように、自身のみの成功だけでなく、他人の利益も一緒に追求することでともに成功することを理念としています。
少し長くなってきたので、今回はこれくらいで。
次回は大学生時代の体験エピソードを記します。