あれから6年、我がルーツの復興を願う毎日です
2017年3月10日
北海道 いずしファンド
明日は、3.11、あの忌まわしい震災から6年が経過しようとしています。
私の個人的な話ですが、私の実父の故郷が岩手県大船渡市字越喜来という三陸海岸の小さな入り江に面した海岸町で生まれ育ちました。
当然のごとく、私の親せきも多く、実際私も何度か遊びに行った場所でもあります。
正に風光明媚、あの震災さえ無ければ、あの津波さえ無ければ穏やかな本当に綺麗な自然あふれる素晴らしいところなのです。
しかし、あの日のあの津波が、街全体を、そしてそこで暮らす人々の日常まで奪ってしまいました。
私の親せきも、多くが亡くなりました。正確に言うと、未だに行方不明の方も多くおります。
本当に悔しいですね。
あのそびえ立っていた「防潮堤」の何の役にも立たなかったのですから・・・。
私も良く遊びに行ったときに、従妹たちが「こんな高い防潮堤を作ったんだから、津波なんか大丈夫だあ・・・」と高笑いしていたことを思い出します。
それが、あんなことになるとは・・・。
去年も行きましたが、6年経ってもまだ、復旧どころか、かさ上げ工事の真っ最中、そこにまた家が立ち並ぶのか?どうかは誰も知りません。私の生き残った親戚たちも、あの場所には「もう戻らない」と、高台に家を新築して、全く新しい生活が始まっているからです。
でも、いつかまたあの美しい海岸の街並みが戻って来たら・・・と願う思いもあります。
そんな願いを込めて、年に一度私は三陸の私のルーツであるこの越喜来湾を訪れて、復興への足音を確かめに行くのです。そして、この街の唯一の「道の駅」に立ち寄り、意味もなく珍味やお酒、野菜やお菓子などお土産を買い漁って帰るのです。
今年は、いつ行こうかなあ???
私の個人的な話ですが、私の実父の故郷が岩手県大船渡市字越喜来という三陸海岸の小さな入り江に面した海岸町で生まれ育ちました。
当然のごとく、私の親せきも多く、実際私も何度か遊びに行った場所でもあります。
正に風光明媚、あの震災さえ無ければ、あの津波さえ無ければ穏やかな本当に綺麗な自然あふれる素晴らしいところなのです。
しかし、あの日のあの津波が、街全体を、そしてそこで暮らす人々の日常まで奪ってしまいました。
私の親せきも、多くが亡くなりました。正確に言うと、未だに行方不明の方も多くおります。
本当に悔しいですね。
あのそびえ立っていた「防潮堤」の何の役にも立たなかったのですから・・・。
私も良く遊びに行ったときに、従妹たちが「こんな高い防潮堤を作ったんだから、津波なんか大丈夫だあ・・・」と高笑いしていたことを思い出します。
それが、あんなことになるとは・・・。
去年も行きましたが、6年経ってもまだ、復旧どころか、かさ上げ工事の真っ最中、そこにまた家が立ち並ぶのか?どうかは誰も知りません。私の生き残った親戚たちも、あの場所には「もう戻らない」と、高台に家を新築して、全く新しい生活が始まっているからです。
でも、いつかまたあの美しい海岸の街並みが戻って来たら・・・と願う思いもあります。
そんな願いを込めて、年に一度私は三陸の私のルーツであるこの越喜来湾を訪れて、復興への足音を確かめに行くのです。そして、この街の唯一の「道の駅」に立ち寄り、意味もなく珍味やお酒、野菜やお菓子などお土産を買い漁って帰るのです。
今年は、いつ行こうかなあ???