覚悟のコックコート
2017年10月3日
パパマドゥーカの行列ビーフ丼ファンド

パパマドゥーカと初めて会ったのは、京都のらくさいマルシェでした。
出会ったときに着ていたのは、胸に謎の、どちらかと言えば悪そうなイメージのロゴだかマークだかが入ったTシャツでした。
聞けば、グレートムタというプロレスラーのロゴマークだそうで、彼自身プロレスラー志望だったそうです。
似合うと言えばよく似合っていたけれど、その風体でタンドリーチキン焼いているのって、なんか安っぽく見えました。
そのタンドリーチキン、味わってみれば素人のものじゃないんです。
しっかり調味された料理でした。
よくよく聞いてみれば、インドネパール料理のお店のオーナーシェフだとおっしゃいました。
ただ、その料理と風体が妙にちぐはぐです。
「いえいえ、お店もこの格好で出ています」というパパに、
「どーして、コックコート着ないんですか?」と聞いたものです。
周囲にはパン屋さんもあり、洋食屋さんもあった。皆さん、それなりの身なりをしていらっしゃいます。
僕んちだって、エプロンをして帽子をかぶっています。
「持ってるんですがね」というのが彼の答えでした。
南大阪の自由人。そんな感じ。気楽に生きる自由人といったふうです。
「似合うと思いますよ」と言えば、「あはははは・」と笑ってごまかしていらっしゃった。
実は、この時点で今回の事業を思いついたものの、相手がどういう人物かもわからず、その場で「僕と組みませんか?」と訊けるものではありませんし、僕もそこまで軽薄ではありません。
パパマドゥーカの本名は、和田勉。
れっきとした日本人。
いろいろな催事に出店しています。
その後何度か催事で出会い、お話ししているうちにいろいろとわかってきました。
巷でも、昨今の外食業界はしんどいと聞ききます。
うちの場合は出奔したてで、商品の認知度をあげたいし、何よりお客様と話ができるのがいいところにもってきて、僕自身が対面販売大好きなので、催事販売に出店しているけれど、お店を持っている人がこういうところに出てくるのはどういう心境かと思いました。
確かに彼んちのタンドリーチキンやナンロールはよく売れます。
ただ、ちょいと違う気がしていたのも事実です。
『この人が扱うのはもっとワイルドなものの方がいいよなぁ』と、勝手なことを想像していました
で、聞いてみれば、「この前、知り合いに誘われて、ビーフステーキ売ってみたんです」
「他では売らないんですか?」と聞けば、う~んと考えた後、「売ってもいいんですがね」
「売ってみましょうよ」というところから始まったんです。
「やってみましょうかねぇ」は煮え切らないのではなくて、インド料理をやっているお店のオーナーだからでしょうか。
スタートはそこからです。
今日はインド料理、明日はビーフと入れ替わり出店が数回続きました。
最初の頃は、地域によって保健所の規則が違い、ご飯が出せるところと出せないところがあり、一律ステーキだけにしていました。
ただ、ご飯の上にのせればうまいのはわかっていましたから、「どんぶりにしてみたら?」
「いや、めんどくさいのもありましてね」
「どんぶりどんぶりどんぶりどんぶり・」
「あー・わかりました。やってみますわ」
このあたり、僕はあんまり考えていなかったんですね。たんに白いご飯の上にステーキのせて、ソースかけりゃいいじゃんくらいのことでした。
でも、彼がつくったのは、ターメリックライスの上にレタスの細切りをしいてそのうえにステーキというものでした。
ソースも3種。やや甘めのガーリックソース、さっぱりしたゆず塩、辛みのきいたわさび醤油。
10kgの牛肉の塊を、どんとばかりにテーブルに載せて、炭火でじゅうじゅう焼き上げて、ソースはお客様に選んでいただく。
出店する催事で、行列のできるマドゥーカのブースになりました。
ただ、僕はそれでも今ひとつでした。
メリハリが足りなかったんです。
自由人に言うのは冒険でした。
「コックコート着てみない?」
コックコートは制服です。
構築的な肩のラインは、存在感を増すとともに、見るものにその人が何なのかをわからせます。
自由人に、自分に制約をかけろ、規制しろと言うのはこれまでの自分の生き方に相反することをしろと言うことです。
否定されるかもしれなかったです。
でも、僕が考えたほど、彼は考えてなくて、もしかすると、『売れるなら、着てみようか』くらいだったかもしれません。
でも、自分で買って着ようとはしませんでした。
こちらで用意して、着せたんですが、数回、着てくれと頼めば、やっと袖を通す始末。多少テレもあったと思います。
で、見立て通り、似合ったんです。
そんなことを数回続けるうちに、彼は手ごたえを感じたようでした。
「和田さん、事業化しよう」と言った言葉に、一呼吸おいて言ってくれたのは「いいですよ」
彼の「いいですよ」は僕が考えていたより重かったんです。
「今の店閉じて、こっちやりますわ」
僕はその時まだそこまでは考えていなくて、多少驚きました。
20年近くやってきた店を閉じる。
その覚悟は軽々しいものじゃないと思います。
「そうなの、ふうん・」と答えたものの、覚悟したのはこちらも同じでした。
いい加減なことしたら、アックスボンバーにバックブリーカーだろうし。
先のブログに書いたように、パパマドゥーカは家族が大事。娘さん命です。
ネーミングを考えたとき、「マドゥーカと言うのは小さな女の子という意味で、」「うちにも、チビがおるんですわ・」と言う彼の言葉に、「ボスマドゥーカ」やその他、強そうな野蛮なネーミングはすっ飛んでしまいました。
「パパマドゥーカ」が誕生しました。
彼が着る、なんともはや派手な真っ赤っかのコックコートは彼の覚悟の現われなんです。

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