東山温泉と「新撰組」

2018年5月1日
会津東山温泉 月のあかりファンド


東山温泉と「新撰組」










 

幕末の時代に、最も輝いていたと言っても過言ではない「新撰組」は、

幕末の京都、京都守護職であった「松平容保公」より

会津藩お預りと呼ばれる京都の治安部隊でした。


新撰組副長「土方歳三」は、

幕末の新政府軍との戦いながら、北上します。

 

再度、新政府軍との戦いで、

宇都宮の戦いで足を負傷した土方歳三は、

傷に良く効くとされる東山温泉で療養したと言われています。

 

会津には約3ヶ月療養した記録があることからも、

幕末の切迫した状況の中であったことから考えても、

土方が深い傷を負ったことが考えられます。

 

東山温泉でもしばしば療養に訪れた土方を目撃した人も多く、

戊辰戦争での負傷を癒し、

そして心も癒していたのかもしれません。
 

江戸末期の大須賀清光画の東山温泉絵図には、

瀧の湯・有馬屋(昭和6年ごろ所有)の二軒(現在ある旅館名)があり、

特に「瀧の湯(のちの旅館 松島、現在の「庄助の宿 瀧の湯」)は

藩の座敷役場を兼ねた旅館でした。

 

その普請の浄財を集める趣意書に

「瀧の湯番頭役場座敷申合せ帳」があり、

西郷頼母・内藤界衛門はじめ家老達の名が連なっています。

 

斎藤一も新撰組三番隊隊長での功労を称えられ、

藩主松平容保公に仲人ばかりか、

四度、名を変えた斎藤一に藤田五郎と命名して下さいました。

これ以降名を変えることはなかったと言います。

 

これだけの藩主からの恩光を授かったのですから、

新撰組副長である土方歳三が会津での歓待ぶりは

想像以上のものがあったものと思われます。

 

土方歳三は、会津療養の間に、

天寧寺で「近藤勇の墓」を建立します。

「近藤勇の墓」には伝説があり、

京都にさらし首になっていた近藤の首を、

土方が齋藤一に取りに行かせ、

その首を、会津の地に葬ったとも、

遺髪のみを埋葬したとも言われています。

 

「近藤勇の墓」を建立する際、

土方はじめ、齋藤一などのメンバーも天寧寺に滞在した記録が残っています。

 

東山温泉はもともと「天寧寺の湯」と呼ばれていて、

のちに「天寧温泉」「東山温泉」と名称を変えます。


天寧寺の湯であった当館の湯は、

藩の座敷役場を兼ねた旅館であったこと、

齋藤一や土方らが天寧寺に滞在した記録があること、

土方が会津で3ヶ月間も療養した記録があること、

東山温泉でもしばしば土方などのメンバーが目撃されたことを考えると、

当館の湯で療養したと考えるのも自然であると考えられます。


土方歳三ら、幕末の志士たちが足繁く訪れた、

東山温泉の湯を是非、ご堪能くださいませ。


ファンド情報

会津東山温泉 月のあかりファンド
株式会社松嶋
会計期間
2018年10月1日 ~ 2023年9月30日
一口
31,500
償還率
111.19 %
参加人数
129
調達実績
14,880,000
【ご留意事項】
当社が取り扱うファンドには、所定の取扱手数料(別途金融機関へのお振込手数料が必要となる場合があります。)がかかるほか、出資金の元本が割れる等のリスクがあります。
取扱手数料及びリスクはファンドによって異なりますので、詳細は各ファンドの匿名組合契約説明書をご確認ください。
ミュージックセキュリティーズ株式会社 第二種金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第1791号 加入協会:一般社団法人第二種金融商品取引業協会
Copyright (C) 2025 Music Securities,Inc. All Rights Reserved.