クラフトビールはコミュニケーションツールです
2020年2月16日
三鷹 地域が繋がるクラフトビールファンド
おがです!
クラフトビールに限らず、「お酒」は、全般にコミュニケーションツールだと感じています。
特に
クラフトビールに関しては、ビール好きが集まる場所として、会話が弾むことが多いです。
最近のカウンターが設置されているクラフトビール専門店では、
初めて飲む方、飲み始めの方が多く、クラフトビールの会話を多く聞くことができます。
いろいろな話を聞くだけでも、楽しいですが、珍しい種類のビールが繋がる(新しく開栓されること)ときは、
初めて会った方に感想を聞いたり、普段の行っているお店を紹介して頂いたり、
一つの会話から広がることを多く体験しました。
※仲良くなってからの話ですが、普段は飲食店でも、職場でもあまり話をされない方でしたが、
共通の話題から打ち解けられたと言われたときは嬉しかったです。
ぜひとも、クラフトビールを楽しむときは、お客様同士の会話も楽しんでみてくださいね!
私のお勧めは、中央線吉祥寺「クラフトビアマーケット吉祥寺店」
一人飲みにも、大勢でわいわいでも!クラフトビールを楽しめる空間が広がっています。
https://www.craftbeermarket.jp/kichijoji/
もうひとつ!
会社名「小笠原商店」の由来
私の実家、岩手県久慈市で食品の卸問屋を経営(いまは廃業しています)していました。
私は、幼少のころから、祖父母と過ごすことが多く、お得意様への配達や紹介にいつもついていきました。
そこで、会社の番や配達の中で、コミュニケーションの基本を感じることができました。
その祖父が営んでいた会社が「小笠原商店」。
私の中で、祖父の存在がとても大きく、小学生の私にお客さまと接するとき、
とてもとても厳しく教育してもらいました。
しかし、会社は父の影響(この説明も必要です!)で、祖父の代で廃業となりました。
小笠原一家は、代々商売の家系で、曽祖父、祖父、祖母、叔父や叔母、母(母方の祖父母も)も商売人です。
それぞれの会社を立ち上げて経営をしおりますが、私の祖父への想いを形にしたいと考えて
この会社名にしたいと親類に相談しました。
歴史のある会社名、会社の遍歴や事情、自分の名前をつける覚悟等々、親類というより
経営者の大先輩として色々な角度から意見をもらい、考えた末、この会社名に「決断」しました。
大きな決断の要素は、祖父からの言葉
「身分相応のこと続けること」
私にとってとても大切な言葉です。
今の私一人ではとても大きな挑戦で、祖父が生きていたら
時期早々と叱咤されるかもしれませんが、
今の私には、周りにたくさんの応援してくれる方々がたくさんいます。
応援していただいている方の夢を託してもらえる喜びは、
今もこれからも私の「財産」です。
祖父とビールを飲んだことは、病床の時に一度だけ。
その時のビールの味はなによりも思い出深いものです。
そんな皆様にとって大切な時間に寄り添うビールをこれからも
醸造していきますので、応援よろしくお願いします。
みんなで乾杯!


クラフトビールに限らず、「お酒」は、全般にコミュニケーションツールだと感じています。
特に
クラフトビールに関しては、ビール好きが集まる場所として、会話が弾むことが多いです。
最近のカウンターが設置されているクラフトビール専門店では、
初めて飲む方、飲み始めの方が多く、クラフトビールの会話を多く聞くことができます。
いろいろな話を聞くだけでも、楽しいですが、珍しい種類のビールが繋がる(新しく開栓されること)ときは、
初めて会った方に感想を聞いたり、普段の行っているお店を紹介して頂いたり、
一つの会話から広がることを多く体験しました。
※仲良くなってからの話ですが、普段は飲食店でも、職場でもあまり話をされない方でしたが、
共通の話題から打ち解けられたと言われたときは嬉しかったです。
ぜひとも、クラフトビールを楽しむときは、お客様同士の会話も楽しんでみてくださいね!
私のお勧めは、中央線吉祥寺「クラフトビアマーケット吉祥寺店」
一人飲みにも、大勢でわいわいでも!クラフトビールを楽しめる空間が広がっています。
https://www.craftbeermarket.jp/kichijoji/
もうひとつ!
会社名「小笠原商店」の由来
私の実家、岩手県久慈市で食品の卸問屋を経営(いまは廃業しています)していました。
私は、幼少のころから、祖父母と過ごすことが多く、お得意様への配達や紹介にいつもついていきました。
そこで、会社の番や配達の中で、コミュニケーションの基本を感じることができました。
その祖父が営んでいた会社が「小笠原商店」。
私の中で、祖父の存在がとても大きく、小学生の私にお客さまと接するとき、
とてもとても厳しく教育してもらいました。
しかし、会社は父の影響(この説明も必要です!)で、祖父の代で廃業となりました。
小笠原一家は、代々商売の家系で、曽祖父、祖父、祖母、叔父や叔母、母(母方の祖父母も)も商売人です。
それぞれの会社を立ち上げて経営をしおりますが、私の祖父への想いを形にしたいと考えて
この会社名にしたいと親類に相談しました。
歴史のある会社名、会社の遍歴や事情、自分の名前をつける覚悟等々、親類というより
経営者の大先輩として色々な角度から意見をもらい、考えた末、この会社名に「決断」しました。
大きな決断の要素は、祖父からの言葉
「身分相応のこと続けること」
私にとってとても大切な言葉です。
今の私一人ではとても大きな挑戦で、祖父が生きていたら
時期早々と叱咤されるかもしれませんが、
今の私には、周りにたくさんの応援してくれる方々がたくさんいます。
応援していただいている方の夢を託してもらえる喜びは、
今もこれからも私の「財産」です。
祖父とビールを飲んだことは、病床の時に一度だけ。
その時のビールの味はなによりも思い出深いものです。
そんな皆様にとって大切な時間に寄り添うビールをこれからも
醸造していきますので、応援よろしくお願いします。
みんなで乾杯!

