フィールド調査日記4
MJIの加藤です。
日曜の朝、みなさまいかがおすごしでしょうか。
引続きフィールド調査日記、今日は3日目午後のようすをお送りさせて頂きます。
〜フィールド調査日記 3日目午前のあらすじ〜
昨日訪問した村長さんの紹介で、地元で有名なお菓子作りの現場を訪問。
自然が余すことなく使われる仕事と優しい味に、みんなでこれからの成長を期待してお別れ。
その後、役所の手続きはスムーズに進むも、入国管理局で難航。
街のコピー屋さんで書類を作り手続きが終わる頃には、もう正午間近。
入管の係員さんが教えてくれた地元の隠れた名店でランチタイム。絶品料理で気合いを(お腹に)入れていざ調査へ。
13:00
最初の調査エリアに到着。ここは手織り物で有名な村です。
日本の写真家さんが毎年訪れてパゴダへの寄付や住民へのサポートをしてくれてるんだ、と笑顔の村長さん。
奥様が、箱いっぱいの写真と、写真家さんからもらったというお土産の扇子をもってきて思い出話を聞かせてくれます。
日本人に対して良い感情をもって下さっているからか、とても温かく接して頂きました。
写真家の方にお会いしたことはないですが、その方が日本人として個人として、その道に残して下さった美しい心の花のおかげで、偶然後からその道を歩いたわたしは助けられました。
ミャンマーは親日だ、という考えを楽観的に持ち込むのは気をつけておきたいことです。
ミャンマーでは、さまざまな村に場所に、大戦の名残があります。
以前訪問した村で、日本人が来たんなら、と村を案内して下さった村長さんがいました。
「これは日本の戦後賠償で作られた電線なんだ」
「あの悲惨な出来事の代償で得たのはこれなんだよ」
スタッフが途中で翻訳を止めたので、言い難い言葉がたくさんあったのでしょう。
わたしに怒るわけでもない。
涙を流すわけでもない。
ただ、とても重い口調で「あんな事はあってはいけない」と話し続けてくれました。
実際にミャンマーの農村で出会ったできごとことです。
わたしの大叔父は戦争でこの国の土を踏んだ1人です。
終戦後、捕虜になり、日本に戻れたのは数年後。生きて戻れただけでも幸運だったのだと思います。
戦争の話はほとんどしなかったそうですが、この話だけ聞いています。
「俺が生き残れたんは空腹を耐えたからや。同胞も地元民も空腹に耐えられへんとその辺にいてる鼠やなんやを食べたんや。それがあかんかった。食べた奴は死んでいった。耐えなあかんかったんや。」
その大叔父もわたしがミャンマーに渡って間もなく、天国に行ってしまいました。
わたしがここに来るのを見届けてくれたような気がしています。
MJIのスタッフもわたしも戦争を体験していない世代です。
そんな世代のわたしたちが、異なる面から戦争をみた人たちから聞いた話は、言葉は違えど、似たような深みの暗さが映っていました。
▲戦後賠償で作られたと言う電線。湖の近い綺麗な村に立たずみ夜は村に光を届ける
話は戻って現代。
この村で作られる織物は人気で、ヤンゴンや近隣都市から買い付けに来るそうです。
しかし後継者不足、機織り従事者が減少。「200〜300のオーダーが入る事はあるけど追いつかないんだ」とのこと。
機織りで得られる収入は出来高制で、どれだけ頑張っても、ミャンマーで定められた最低賃金には至れません。怠けているわけではなくても、こうした現状があります。
▲機織りのようす。
▲織られた生地。出来上がりは硬いが一度洗うと滑らかに。
詳しい経済状況について話が及ぶと、マイクロファイナンスが1社進出していましたが、「難しくて分からないし、怖いから」利用はしていないと2人の親子が現在の生活状況を話してくれました。
ヤンゴン郊外も数年前は同じでした。
「お金借りるってよく分からなくて怖い」
「金利とか難しい言葉が多くて理解できない」
一人一人と向き合って、何度も説明して、説明の方法も幾通りも工夫して。
そこからスタートしたお客さまが今では、500,000〜700,000チャットの借入をして、事業を拡大して、返済できるようになっています。
同じような機会を、この村やこの調査で会った方にもお届けしたいねと、スタッフと移動の途中に話していました。
15:00
2つ目の調査エリアに。
ここでは村長さんに会えず、奥様が対応してくれました。
農業がこの村の主要な事業ですが、毎日仕事がないので住民の生活は楽ではないとのこと。
紹介してもらった31歳の女性。家は恥ずかしいから見せたくないと、村長の家でお話ししました。
噛みタバコ(コン)の葉を摘む仕事は1日3,000チャット。週に数日あれば良い方。
子供が3人いて養育費で生活は苦しい。マイクロファイナンスから300,000チャットと違法な金融業者からはそれ以上を借りている。借金は日毎に増えていく。
夫は国境沿いに出稼ぎに出て1日7,000チャット。安全とかけ離れた労働環境。家に帰れるのは数ヶ月に一度でお金もその時、送金は手数料が高いし使い方もよく分からない。
金利が安いのは分かってる、でもこんな状況でマイクロファイナンスへ定期的に返済をするのは難しい。だから金利は高くても違法な業者から借りている。それにまだ子供が欲しい。
どれも飾らないありのままの言葉でした。
子供が2人一緒にきていました。身なりが随分違うのでスタッフが尋ねたところ、1人は従姉妹。もう1人がずっとぐずっていたのは「この子は草履を履いているのに自分は裸足だから」。
▲親族から子供を預かり1日1,000チャット程の収入に、草履を買ってもらえると聞いて泣き止んだ顔
17:00
今日最後の調査エリアです。
ここも村長さんが不在で、奥様が対応してくれました。
以前は田舎の村に行くと、村長さんいるにはいるが外出中。電話もなく村中うろうろ探し回ることがありましたが、最近は爆発的に伸びた携帯電話普及率のおかげで大抵会うことができます。
今日は珍しいなと思っていたら、「アメースーの誕生日だからですよ」と奥様。
そうでした、本日はアウンサンスーチーさんのお誕生日。
建国の父ボージョーアウンサン(ボージョーは軍階級)の娘であり民主化のリーダー。
何か指示や命令が出ているわけではないが、この日は村長の役所の人が集まりお祝いをします。直接お祝いに駆けつけるわけではなく、お祝いをして、植樹をしたり、催した事を記録するそうです。
▲街に飾られているお祝いの看板。
19:00
調査は無事終了。すっかり暗くなりました。
でも、今日はこれからもうひとつ大事な約束があります。
調査に来た街にスタッフの実家があるとのこと。「その街に行くならよってよー!」と夕食にお招き頂きました。
彼女は支店スタッフとしてMJIに入社。支店の会計担当として真面目で確実な仕事と明るい性格がとても評判でした。
その後、本店の会計担当の募集があったときに立候補。今は本店会計チームの右腕として活躍してくれています。
ミャンマーは家族のつながりを非常に大事にする国。
親御さんからすれば、遠い実家から離れて頻繁に会えない娘息子が、どんなところでどんな人と働いているか不安もあるでしょう。
スタッフのご家族に会い、彼ら彼女たちのルーツを知ることは、長く一緒に働く上で、お互いを知る貴重な機会です。
スタッフマネジメントは色々な方法があると思いますが、今はこういう家族的な繋がりも、この国とわたしたちにマッチしている気がしています。
数年後のミャンマーはどうなっているのでしょう。
もっと現代的で家族のきずなが薄まっていくのか。
それに伴い、会社の中の人間関係も変わっていくのか。
今のミャンマーが好きで、このままだといいなと思いますが、変わりゆく未来も楽しみです。
数年前マイクロファイナンスを知らなかったお客さまが今はしっかり資金を調達・運用して成長されたように。
しっかりとした絆という土台の上に、ミャンマーの素晴らしさが重なる未来を想像します。
最後までお付き合いをいただきありがとうございました。
移動中はいろいろな思いがたくさん沸き上がり、
削って削って削って…この長さにようやく収まりました。。
来週もみなさまにとってよい1週間となりますよう、パゴダでみなさまのご健勝お祈りしております。
ファンド募集期間が、今日でちょうど残り1週間となります。
是非、ひとりでも多くの方にこの活動を知っていただき、この活動にご参加いただけますと嬉しいです。
引続き、ご支援とご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
MJI Enterprise Co., Ltd.
加藤侑子&スタッフ一同