【連載Vol.3】「水は誰のもの?」(小水力発電解説シリーズ)
2020年11月24日
地域の自立を目指す 小水力発電ファンド
水は誰のもの?
小水力発電は水のエネルギーを電気に変える発電方法です。この世に水が無ければ存在しない発電方法です。
今回は水力発電になくてはならない水ってそもそも何だろう?から話を始めます。水という物質ではなく水という存在を中心に少し難しい話もありますがお付き合いください。
雲が湧き、雨が降れば水が溜まります。雪が溶ければ水になります。この水は山の渓谷や川へと流れ池や湖を造り大河となり大海へと注ぎます。大海の水は蒸発し又雨となります。水は尽きることなく循環しますから水力発電は再生可能な発電方法なのです。
我々は普段あまり気にしませんが水は我々にとって常に身近にあり無意識に使っているものでしょう。
では水は誰のものでしょうか?古来水は権力者のものと言われていましたが、やがて皆で平等に使うものとの認識になっていきます。
しかし水の利用を巡っては争い事が絶えなかったのも事実で時には死者が出る騒動も珍しくなく、記録によれば昭和になっても水争いはあったようですが、今では水は公共のものとの認識が定着しています。
また国際的には「水は人権である」と言われています。日本人の多くにとって水は当たり前に手に入るものですし、「水は人権である」などと考えながら水を使っている人はほとんどいないでしょう。
ですが世界の現実はそうではありません。5人に1人は安全な水が飲めず、毎年3~400万人(その半数以上が子ども)が不衛生な水のために命を失っています(WHOの報告による)。
水を人権として位置づけ、しっかりと保障することが重要なのは、こうした現実があるからなのです。
なぜ水は人権なのでしょうか。それはなによりも水が人間の基本的な生活水準を維持するために必要だからです。
基本的な生活水準の維持は、世界人権宣言(第25条)でも謳われています。より拘束力の強い経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約でも「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を含む十分な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める」とはっきり書かれています。
生活水準の維持のためには、水は必要不可欠なのです。このため水も人権の一部となるとの考えからです。
現在の日本において水は水質汚濁防止法や河川法などの法律で守られています。
実はこれらの法令が小水力発電を手がける者にとって少々やっかいなものなのです。
水を使うには水利権(流水占用許可)を取得する必要があります。水がポトリと地表に湧き出た瞬間から水利権が発生すると言われています。
又川は1級、2級、準用、普通河川と区分され、ごく一部の指定外河川を除き行政による管理監督がなされています。
勿論川で子供が遊んだり小魚を追いかけるのは自由ですが、水力発電はもとより、上水道水としての利用や農業用水工業用水など水を事業に用いるときは水利権を得なければならないのです。

先ほど述べたように水は公共のものとの考えがあるからその許可申請には大変な時間と労力を費やします。
又河川や湖沼にはそれを利用する方々がいます。観光や輸送、漁業に従事される方にとっても河川や湖沼は貴重な存在なのです。
法を遵守し、日常的に水資源を利用される地域の方の理解をいただき共存しなければ小水力発電事業を展開するのは難しいのです。
発電事業はインフラ事業ですし、適切な保守を行なえば100年を超える事業となりますので地域の理解は不可欠です。今回の我々の予定地もそうですが全国的に小水力発電の候補地は中山間地が多いのです。
現在の中山間地は過疎化少子高齢化、農林業の衰退等の社会問題が山積しています。そんな地域の貴重な水資源をお借りして行なう発電事業ですから地域への貢献も発電事業者の責務と考えます。
我々も地域が発展し永続することを願い地域との共存を計っていきます。
水が循環し、人類の命を守り生活を豊かにし、自然環境を潤すように、水力発電所を契機に地域の生活も地域の経済も豊かになり持続性のある循環型社会が形作れる様になればと願っています。
鈴木 純一

NPO法人諏訪圏ものづくり推進機構のSEE研究会小水力発電部会所属
現在、3V小水力発電株式会社と茅野市内における小水力発電建設計画に参画
小水力発電は水のエネルギーを電気に変える発電方法です。この世に水が無ければ存在しない発電方法です。
今回は水力発電になくてはならない水ってそもそも何だろう?から話を始めます。水という物質ではなく水という存在を中心に少し難しい話もありますがお付き合いください。
雲が湧き、雨が降れば水が溜まります。雪が溶ければ水になります。この水は山の渓谷や川へと流れ池や湖を造り大河となり大海へと注ぎます。大海の水は蒸発し又雨となります。水は尽きることなく循環しますから水力発電は再生可能な発電方法なのです。
我々は普段あまり気にしませんが水は我々にとって常に身近にあり無意識に使っているものでしょう。
では水は誰のものでしょうか?古来水は権力者のものと言われていましたが、やがて皆で平等に使うものとの認識になっていきます。
しかし水の利用を巡っては争い事が絶えなかったのも事実で時には死者が出る騒動も珍しくなく、記録によれば昭和になっても水争いはあったようですが、今では水は公共のものとの認識が定着しています。
また国際的には「水は人権である」と言われています。日本人の多くにとって水は当たり前に手に入るものですし、「水は人権である」などと考えながら水を使っている人はほとんどいないでしょう。
ですが世界の現実はそうではありません。5人に1人は安全な水が飲めず、毎年3~400万人(その半数以上が子ども)が不衛生な水のために命を失っています(WHOの報告による)。
水を人権として位置づけ、しっかりと保障することが重要なのは、こうした現実があるからなのです。
なぜ水は人権なのでしょうか。それはなによりも水が人間の基本的な生活水準を維持するために必要だからです。
基本的な生活水準の維持は、世界人権宣言(第25条)でも謳われています。より拘束力の強い経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約でも「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を含む十分な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める」とはっきり書かれています。
生活水準の維持のためには、水は必要不可欠なのです。このため水も人権の一部となるとの考えからです。
現在の日本において水は水質汚濁防止法や河川法などの法律で守られています。
実はこれらの法令が小水力発電を手がける者にとって少々やっかいなものなのです。
水を使うには水利権(流水占用許可)を取得する必要があります。水がポトリと地表に湧き出た瞬間から水利権が発生すると言われています。
又川は1級、2級、準用、普通河川と区分され、ごく一部の指定外河川を除き行政による管理監督がなされています。
勿論川で子供が遊んだり小魚を追いかけるのは自由ですが、水力発電はもとより、上水道水としての利用や農業用水工業用水など水を事業に用いるときは水利権を得なければならないのです。


先ほど述べたように水は公共のものとの考えがあるからその許可申請には大変な時間と労力を費やします。
又河川や湖沼にはそれを利用する方々がいます。観光や輸送、漁業に従事される方にとっても河川や湖沼は貴重な存在なのです。
法を遵守し、日常的に水資源を利用される地域の方の理解をいただき共存しなければ小水力発電事業を展開するのは難しいのです。
発電事業はインフラ事業ですし、適切な保守を行なえば100年を超える事業となりますので地域の理解は不可欠です。今回の我々の予定地もそうですが全国的に小水力発電の候補地は中山間地が多いのです。
現在の中山間地は過疎化少子高齢化、農林業の衰退等の社会問題が山積しています。そんな地域の貴重な水資源をお借りして行なう発電事業ですから地域への貢献も発電事業者の責務と考えます。
我々も地域が発展し永続することを願い地域との共存を計っていきます。
水が循環し、人類の命を守り生活を豊かにし、自然環境を潤すように、水力発電所を契機に地域の生活も地域の経済も豊かになり持続性のある循環型社会が形作れる様になればと願っています。
鈴木 純一

NPO法人諏訪圏ものづくり推進機構のSEE研究会小水力発電部会所属
現在、3V小水力発電株式会社と茅野市内における小水力発電建設計画に参画